Nara socks

奈良県の靴下生産量は、ストッキングなどを含めると国内シェア約35%(2017年時点)で全国1位!ソックスに限れば、約63%を占めています。靴下の生産は、明治43年に大和高田市と広陵町で始まりました。
特に広陵町では靴下生産が盛んです。そんな靴下の一大生産地【広陵町】でA HOPE HEMPのソックスも産まれています。

 

広陵町が誇る<靴下づくり>の歴史について
 

その昔、広陵町は「大和国広瀬郡」といって、古くから靴下の原料にもなった「大和木綿」の産地でした。大和地方で綿作が盛んになった理由は、慢性的な水不足のため米造りには向かず、それを補うために綿を作っていたからだと言われています。いまでも広陵町にたくさんのため池があるのは、当時の水不足対策の名残です。
 

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江戸時代になり大和地方でも綿花栽培や製糸業が盛り上がり「大和木綿」は全国に知れわたる特産品に成長しました。そして幕末になり開国すると、大量のインド綿が日本に輸入されはじめます。一方で、近代的な紡績技術も海外から導入され、奈良県内でも多数の紡績工場が誕生しました。そんな近代化が進む中、馬見村(現在の広陵町西部)の吉井泰治郎(よしいたいじろう)さんという方が目をつけたのが「靴下製造」。アメリカから靴下編機を購入し、1910年(明治13年)に靴下製造を始めたことがきっかけとなり、周辺の地主さんを中心に靴下づくりが広がっていきました。

 

その後、昭和のはじめにかけて靴下製造は大幅に拡大。自動編みや口ゴム編みの機械が導入されるなど技術革新が進み、奈良県での靴下生産額は大阪・東京・愛知についで、全国4位になりました。戦時中は一時的に靴下生産業者が減りましたが、戦後はふたたび復活を遂げ、農家の副業・兼業ではなく本業へと発展していきました。1951年(昭和26年)になると、ナイロン素材の国産化がきっかけとなり飛躍的に生産量が増加。伸び縮みにも対応できフィット性に優れたナイロン製の靴下はこの地域の経済を潤し、ついに広陵町は日本一の靴下生産量を誇る町になりました。

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しかし、バブル崩壊後は円高のため輸入品が増え、1951年(昭和26年)には140軒あった広陵町の靴下業者も、平成元年には40軒まで減ってしまいました。そんな逆風の中、靴下製造に携わるみなさんは高付加価値化や原価低減などの工夫を凝らし、いまでも国産靴下の生産量シェアを奈良県が大半を占め、広陵町はその内の約33%ほどを支えています。最近では、そういった工夫が功を奏して「日本製の高品質な靴下が欲しい」と海外の方が百貨店を訪れたり、靴下専門のお店が登場するなど、靴下の需要は上向きになっているそうです。広陵町の靴下産業は、しっかりと地域に根付き伝統を守りながら、世の中の動向を見据え、今もなお新しい動きを紡ぎだしています。

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A HOPE HEMP 企画 販売総代理会社
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